美濃焼は「これが美濃焼だ」と言える単一の様式を持ちません。その幅の広さこそが特徴です。32個の事実を紹介します。
-
美濃焼は岐阜県東部、旧美濃国の東濃地方でつくられる陶磁器の総称です。
-
主な産地は多治見市、土岐市、瑞浪市、可児市の四市です。
-
日本の家庭で使われる食器のおよそ半分が美濃焼だとされています。
-
つまり多くの人が、名前を意識しないまま毎日美濃焼を使っています。
-
土岐市は陶磁器の生産量で日本最大の自治体です。
-
美濃焼は1978年に国の伝統的工芸品に指定されました。
-
有田焼や九谷焼と違い、美濃焼には決まった様式がありません。産地の名であって、様式の名ではないからです。
-
伝統的工芸品としての美濃焼には、15の様式が含まれています。
-
この地域での焼き物づくりは平安時代の須恵器や白瓷にさかのぼります。
-
美濃焼が独自性を確立したのは桃山時代、16世紀後半から17世紀初頭にかけてです。
-
この時期に志野、織部、黄瀬戸、瀬戸黒という四つの様式が相次いで生まれました。
-
志野は、日本で初めて白い釉薬をかけた陶器とされています。用いられたのは長石釉です。
-
志野はまた、日本で最初に釉薬の下に絵を描いた焼き物でもあります。鉄絵と呼ばれる技法です。
-
志野の表面に見られる細かな穴は柚子の皮に似ることから「柚肌」と呼ばれます。
-
鼠志野は、鉄を含む化粧土を掻き落として文様を出す技法で、灰色の地に白い文様が浮かびます。
-
織部の名は、茶人・古田織部に由来します。千利休の弟子にあたる人物です。
-
織部の特徴は銅を含む緑釉と、意図的に歪ませた形にあります。
-
利休が求めた静けさや均整に対し、織部はあえて歪みと派手さを選びました。当時これは「へうげもの」と評されています。
-
古田織部は1615年、大坂夏の陣ののちに切腹を命じられました。
-
瀬戸黒は、高温の窯から器を引き出して急冷することで黒を得ます。そのため「引出黒」とも呼ばれます。
-
この技法は失敗すれば器が割れるため、一つずつ窯から取り出す必要があります。
-
黄瀬戸は灰釉による淡い黄色が特徴で、油揚げのような質感から「あぶらげ手」と呼ばれるものがあります。
-
桃山期の美濃では大窯が使われ、17世紀初頭に九州から連房式登窯が伝わりました。
-
登窯の導入によって生産量は飛躍的に増え、同時に器の性格も変化しました。
-
長いあいだ、志野や織部は隣接する愛知県の瀬戸で焼かれたものと考えられていました。
-
1930年、陶芸家の荒川豊蔵が美濃の牟田洞古窯跡で、絵の描かれた志野の陶片を発見します。
-
この一片が、志野が美濃で焼かれていた動かぬ証拠となり、日本陶磁史の通説を書き換えました。
-
荒川豊蔵はのちに志野と瀬戸黒で人間国宝に認定されました。
-
多治見市には、建築家・藤森照信が設計したモザイクタイルミュージアムがあります。
-
隣接する旧笠原町は、日本有数のモザイクタイル産地でした。美濃の窯業は食器だけではありません。
-
多治見市陶磁器意匠研究所は、陶磁器のデザイナーや作家を育てる公立の教育機関です。
-
東濃地方は近年「セラミックバレー」として一体的に発信されており、酒器や茶器の産地としても知られています。
Was this page helpful?
私たちの使命の中心にあるのは、信頼でき魅力的なコンテンツをお届けするという約束です。当サイトのすべての事実は、あなたのような実際のユーザーによって投稿され、多様な知見と情報をもたらします。正確性と信頼性の最高水準規格を確保するため、専任の編集者が一つひとつの投稿を細かく審査しています。このプロセスにより、私たちが共有する事実は、興味深いだけでなく、信頼に足るものとなります。品質と信憑性への私たちの取り組みを信じて、ともに探求し学びを深めてください。